オリジナル翻案
乙姫編 第二話「送り出したのは、私なのに」
広間に戻り、乙姫が楽器の前に腰を下ろした、その時だった。
体の芯から、するりと何かが抜けていった。
結んでいた紐が、遠いところでほどけたような感じだった。同時に、広間じゅうの灯りが一斉に揺れた。風もないのに、炎が大きく傾ぎ、壁の影が一瞬だけ引き伸ばされ、それからまた元に戻った。
乙姫は、自分の中から出ていったものの正体を、すぐに悟った。
箱に入れた願い。自分の時を止めて、そのまま封じた願い。それが今、どこか遠くでほどけたのだ。
つまり、彼は箱を開けたのだ。門を出て、海を上がって、浜に着いて——そのわずかな隙に。
膝の上で、指が震えた。開けた、ということの意味を、乙姫は誰よりもよく知っていた。彼の時が動き出す。この世の歳月が、一息に彼へ流れ込む。そして——ここへ戻る道が、閉じる。
どうして、と口に出しかけて、やめた。理由を言わずに渡したのは自分だった。開けてはいけない、としか言わなかったのは自分だった。
乙姫は扉の方を見た。誰もいない。当たり前だった。もう、誰も来ないのだから。
それでも、しばらくの間、扉を見つめ続けた。今朝、門のところで振り向いてほしいと願ったのは自分の方だった。今こうして振り向いているのも、自分の方だ。滑稽だ、と思いながら、視線を外せなかった。
それでも乙姫は、宴の支度を片付けなかった。卓の上のご馳走を、そのままにしておいた。下げてしまえば、あの夜が終わる。終わらせるのは、自分の役目ではない気がした。
帰る道が閉じたことを、彼女は知っている。知っていて、なお待つのだと決めたわけでもなかった。決めるより先に、体がその形になっていた。
乙姫は鍵盤に指を置き、同じ旋律を弾き始める。誰も来ない広間で、彼女はもう、あの夜の続きを弾いていた。
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