オリジナル翻案
浦島編 第三話「光の粒」
最初の一週間、数字はほとんど動かなかった。浦島は毎晩、同じ長椅子で同じ画面を覗き込み、「再生数」という言葉の意味を少しずつ覚えていった。一、三、七、十一。誰かが見て、また誰かが見て。それだけのことが、浦島には奇跡のように思えた。
変わったのは、ある夜だった。眠りから覚めると、画面の数字が桁を跳ね上げていた。青年が驚いた顔で画面を浦島に見せてきた。
「おじいさん、これ……えらいことになってますよ」
コメント欄には、見たこともない文字が並んでいた。丸みを帯びた文字、鎖のようにつながった文字、浦島の知らない国の言葉。青年が画面をつつくと、それが読める言葉に変わった。「泣いた」「誰かに聞かせたい」「この人は何者なんだ」——同じような言葉が、いくつもいくつも流れていた。
浦島には、それがどうしてなのか、わからなかった。上手く歌えたとは思っていない。声は震えていたし、浜で歌っていた頃の伸びやかさには、遠く及ばない気がした。それでも、画面の向こうの誰かたちは、確かに何かを受け取ったらしかった。
「呼ばれてますよ、おじいさん」
青年が差し出した画面には、見知らぬ相手からの短い文がいくつも届いていた。うちで歌ってほしい、という誘いだった。返事の書き方がわからない浦島に代わって、青年が「行きます」とだけ打ち込んだ。
最初は、客が三十人も入れば一杯になる小さな店だった。次は、その三倍の広さの場所。その次は、名前を聞いたこともない大きなホール。断る理由を探しているうちに、会場はひと月ごとに大きくなっていった。自分が何に乗せられているのか、浦島には最後までよくわからなかった。ただ、歌ってくれと言われれば、歌った。それだけだった。
そして、いちばん大きな会場の日が来た。三万人が入る、と青年は言った。浦島には、その数がどれくらいの人だかりなのか、想像がつかなかった。
控室と呼ばれる狭い部屋で、浦島は鏡に映る自分の顔を見ていた。皺と、白い髪と、節くれ立った指。この姿で人前に立っていいのか、浦島にはわからなかった。あの夜、二人だけで口ずさんだ節を、こんな姿で、見も知らぬ人々の前で歌うことに、何の意味があるのか。
「緊張してます?」
ギターを抱えた男が、ドアを開けて入ってきた。笑っている。浦島は答えられなかった。
「大丈夫ですよ。あなたの歌、俺たち、ちゃんと聞きましたから」
控室の壁の向こうから、観客のざわめきが伝わってくる。低い地鳴りのような音。数えきれない人間が、たった一人の老人の歌を聞くために、そこに集まっていた。
浦島は目を閉じた。瞼の裏に浮かんだのは、珊瑚の柱と、揺れる灯りと、乙姫の笑い声だった。
「行けますか」
男に肩を叩かれ、浦島は立ち上がった。膝が軋んだ。それでも、足は自然と、光の方へ向かって歩き出していた。
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